昨日、イグチが国語の授業をしている学校で「最後の授業」を見学することができた。
授業をされたのはN先生。この3月で定年退職されるベテラン先生だ。

最後の授業としてN先生が取り上げたのはいのちの問題。

先生はまず『くまとやまねこ』(本の内容はこちらこちらからどうぞ)という絵本を読まれました。
内容は、なかよしのことりが死んで悲しみにくれるくまが、新しい出会いによって悲しみと共存しながら再生していく物語です。

絵本の持つ力にそれをただ聞いているだけで涙がでてきます。
国語教師として、すぐれた作品にふれる機会を提供することはとても大切な仕事だと思います。一冊の本に出会ったことをきっかけに、人生が大きく変わることもあるわけですし。

大切な人が亡くなって、あとに残された者の思いについて、N先生はご自身のことを話されました。

大切な人が亡くなった時にどう思ったのか。
感動的であったり、なかったり。
それでも人が最後に残す言葉はその人をとてもよく表している。
そして、それを聞く者は、去りゆく人から何かを引き継いでいくのだ。

そうした深くて重い内容を、先生はやわらかくやさしい口調で時には笑いを織り交ぜながら話されていきます。教室の中がぐっと集中していくのがわかります。

最後に、「引き継いだものを自分も誰かに渡すときが来る」として、人間ならばだれにでも訪れる自分自身の死について考え、一曲の歌を紹介されました。

「一粒の種」(内容詳細はこちらから)

youtubeなどでも聞けるようです。


とても心に残る授業でした。
教材もすばらしいし、授業のワザもベテランの先生ですからさすがにすごいんですけど、一番印象に残っているのは、やはりご自身の話をされたときのことです。先生がひとりの人間として誠実に語る言葉に生徒が真摯に耳を傾ける様子は、まさに教室が一体になったようでした。

数字で測ることのできるいわゆる「学力」をアップさせることに関しては、塾の先生や家庭教師といったスペシャリストも存在するでしょう。対して、学校の教員はそうした教科指導に加え、自分自身の人間性で示すものがあるのではないかと強く思いました。



考えてみれば芝居も同じです。
「上手い役者」と「いい役者」はイコールではない。
もちろん多くは重なるところがあるけれど、「いい役者」は最後の最後に自分を投げ出すというか、無防備にさらすところがあるのではないか。

人は社会の中を生きていく際に、いろいろなヨロイを身につけずにはいられないものです。そしていつの間にかヨロイを身にまとっていることすら忘れてしまう。
だからこそ、無防備に自分をさらす役者に魅力を感じるのではないでしょうか。
飾らず、構えず。

簡単ではないですね。
だからすばらしいのでしょう。


N先生、すばらしい授業をありがとうございました。