今日、うちの奥さんの実家で飼っていた犬(ヒメちゃん・マルチーズ♀16才)が亡くなった。
ここ数日はいつ何時なにが起こるかわからないような状態が続いていて、さすがの彼女もかなり凹んでいた。

犬好きというのはすごいもので、ヒメちゃんの死に直面して、彼女と彼女のご両親は安楽死の問題や死後の世界についていろいろ考えたらしく、日々、うちひしがれて帰ってきた彼女はそうしたことを僕に語っていた。

時を同じくして、僕も仏教に関する本を読んでいたこともあり、生や死について否応なしに考えさせられたのだった。

何しろ、生きとし生けるものはみな、いつか死ぬ。

これはどうにもならないことで、それを悲しんでも仕方がないことなのだが、それでも、人は別れを悲しむものである。わかっていれば悲しまなくてすむものではない。

「悲しみを越えて」という言い方もあるだろう。
でも僕は、「悲しみの中でそれでも」という方が好きだ。人が生きていくときには思うようにならないことの方が多い。でも、「それでも」なのだと思う。
愛する人ともいつか別れがくる(究極的には「死」という別れが)。それは悲しい。
逆に、生きていれば必然的にイヤな奴と出会って、付き合っていかなければならない。

それを「愛別離苦(あいべつりく)、怨憎会苦(おんぞうえく)」とめちゃくちゃ明確に示した言葉がある。そのことを最近知っていたく感心した。

そうそう、愛別離苦、怨憎会苦だ。

そう思ってれば、上を向いて歩ける。坂本九だって歌ってるしね。

音符上を向いて歩こう 涙がこぼれないように
         泣きながら歩く ひとりぼっちの夜

悲しいけれど、切ないけれど、つらいけれど、さみしいけれど。
「それでも」人は生きていく。