SWは福井県高等学校演劇祭の初日と2日目を観てきました。


すると審査員に鈴江俊郎さんが。鈴江さんとは以前審査員でご一緒したこともあったり、芸術村で俳優ワークをお願いしたりしたのだがお会いするのはお久しぶり。

相変わらず気さくに話しかけてくださる、のはいいのだが。
芝居を観たあとになんとなくメモを取っていたのを目ざとく発見し

 

鈴江氏「なに、何書いてんの。それ、ネットにあげたりしないの?しないの?」

と迫ってくる。あくまでメモと思っていたのだが、ついつい調子に乗って書いてみる。

 

初日観たのは3本。顧問創作が2本に既成作品が1本。

そして3本が3本とも、扱い方は違っても「戦争」に触れていたのが印象的だった。先月の石川県大会ではそういう傾向は見られなかったから。これは作品創作(というより「なぜ演劇作品を創るのか」)に大きく関わってくることだと思う。

 

前置きはともかく、まずは1本目。


1)福井商業高校「ファミリーヒストリー」(創作:
Ms.Cozy

 

タイトルの通り60分間「鈴木家の歴史」が語られる作品である。

語り手は2人。ひとりはいろいろな職業を経験した後、今は高校の社会科教師をしていると思われる男「鈴木一郎」。そう、あのイチローと同姓同名である。もう一人は彼の息子「鈴木一太郎」である(ちなみに一太郎君の妹は花子ちゃん。こういうジャストシステム愛に国語科教員のにおいを感じる。まあ、顧問の先生の教科はしらないけど)

 

そしてこの二人の語り手を一人の高校生が演じるのだ。

彼の演技は去年も観たが、朴訥としたしゃべりの中にしっかりと自分を表現できる素敵な役者であり、今回の作品も彼のキャラクターにより成立している部分が大きいと感じた。

 

父の一郎は川べりで段ボールとブルーシートで作られた家に住むホームレスと話をしているらしい。息子の一太郎は学校の宿題だろうか、「僕の家族」という作文を読んでいる。


二人が語る「鈴木家の歴史」には、終戦間際の昭和20年に娘を産んだ(一太郎から見て)ひいおばあちゃん、出征し石の入った箱となって戻ってきたひいおじいちゃん、看護師としてボランティアで各地を回るおばあちゃん、時計の修理を生業とするおじいちゃん、おじいちゃんと一緒に大雨の後の土砂崩れで亡くなった妹、それから頭がよく仕事もバリバリこなしていたが突然失踪した二郎おじさんなどが登場する。淡々とした語りを通じて、かつてこの家族が体験した悲しみや苦しみ、そしてささやかな喜びが伝わってくるのだ。


舞台終盤、一郎が話していたホームレスがこれまでずっと探し続けていた二郎であり、一郎は彼を迎えに来たのだということがわかる。「たいていの人間はスーパースターにはなれない。平凡な人生を受け入れて生きていくのだ。だからこそ、一つ一つの生は貴重なんだよ」と鈴木一郎は弟に語りかける。

そして一太郎は「みんながつなげてくれたこの命を大切にします。そして生きたくても生きられなかった人たちの分も、百年後の僕の子孫たちにも恥ずかしくないように生きていきたいです」と宣言し幕が下りる。

 

たった一人の役者が語るというスタイルなので、どうしても中盤あたりがゆるく感じてしまったり、何か所か歌っている歌がキャラとはいえもう少し何とかならんのか、という部分はあるけれど60分観終わって「いい作品を観たな」と素直に思える素晴らしい作品だった。

 

 

2)福井農林高校「クロニクル」(創作:玉村徹)
 

福井といえば玉村作品といっても過言でないくらいひとつのジャンルになっている、玉村先生による玉村先生らしい作品。

登場人物は色とりどりの服を着た9人の男女。シーンごとに村人や兵士、学生、(あと「お米の精」みたいなやつとか)になる。

 

幕が開くと青く染められた舞台の上手側でひとりの女の子がスポットを浴びて立っている。

彼女は学校の校歌(たぶん福井農林高校の)を歌い、舞台袖からも複数の声が聞こえてくる。そのあと彼女は聖書の創世記を語り始めるのだが、このあとも彼女は「語り」のポジションを占め、それぞれのシーンを紡いでいく。
 

創世記で神が「人間を創られた」というくだりで、ほかの登場人物が現れ「はじめまして、人間です」と自己紹介を始めわいわいと話しだし(遊びだし?)、そこからは「一限目:コメ作り」から二限目三限目・・・と登場人物たちがさまざまなものを演じながら、人生やいのちについてたくさんの物語の断片を切り取るように展開していく。このくだりは玉村先生独特の小ネタが満載で、会場の高校生たちもかなりレスポンスよく笑っていた。しかし、小ネタは小ネタとして楽しめばいいのだが、どうも主筋につながっていかないなあと若干「ネタ終わり待ち」状態に。全編観終わったあともう一度思い出してみて、小ネタで引っ張っていく構成になっているのはわかるのだが、やはり私にはなにかひっかかる感じが残った。


「六限目:神話」では、知恵の実を食べた人間たちが互いに傷つけあい互いに殺しあうエデンの園のエピソードが語られ、再びお米の精となった登場人物たちがものすごい時間を経て生まれ死に土に還るまでが早回しで演じられる。

死体ですらない「何かの死骸」が死屍累々と倒れている背景で星球が光り、彼らはゆっくりと立ち上がる。そして再び「はじめまして、人間です」と自己紹介を始めるのだ。そこには壮大な(途中きっと照れ隠しのようにバカバカしい)クロニクル=年代記があった。

 

 

3)若狭高校「寄る年波の白髪乙女」(既成:萩原有紗)

 

舞台は落ち着いた料理屋の個室。舞台中央にテーブルと座椅子が4脚。背景にはふすまを描いたパネルを配置し、下手側からキャストが登退場できるよう前後に少し間隔をあけてある。
この作品に限ったことではないが、舞台が広いよなあと思う。アクティングエリアは限られているので照明や舞台装置などを使って観客の視線を中央に集められるといいなあ。


幕が開き、まず舞台に現れるのは80を過ぎた老女2人(フミとヒデ)。彼女たちは昔から福井(小浜?)に住んでいると思われる。そして後から店に入ってくるのは東京から戻ってきたミツ。彼女たちは戦中に女学校に通っていた同級生3人で、ここは同窓会の会場であるらしい。最後の席を埋めるのはかつて若く美しく女学生たちのあこがれのような女性だった小林先生である。彼女はもはや90を超え、耳が遠くなっている。

4人の老女たちが昔の思い出を語る中、劇中劇の形で回想シーンが展開していく。このあたりが難しい。装置や衣装をできるだけリアルにしているので回想シーンではどうしても違和感が出てしまうのだ。書き手や演出としてはここは役者の演技力で頼むぜ!というところではあるが・・・さすがにそれは荷が重いか。

今日観た3本はどれも「戦争」が題材となっている。タイムリーだと、思う。

中でもこの作品が最もストレートに第2次世界大戦のことを語っているわけだが、この脚本で私が素敵だと感じたのは単に戦争の悲惨さや平和の大切さを歌い上げる作品ではないというところだ。
もちろん戦争という悲しい状況のために先生の婚約者は戦死してしまうし、フミとミツが思いを寄せていた男性は別の土地へ引っ越してしまう(疎開か、疎開から帰るのか)のだが、それでも回想シーンで語られるのはあくまで彼女たちの恋や将来の仕事の話であり、彼女たちが思い出す青春は決して悲惨で暗いものではない。
そこに作者の思いがあるように私には感じられた。過去も現在も肯定する。あの時代はあの時代。そして今は今。だからこそ彼女たちは明るく「二次会のカラオケ」へと向かうのだと思う。

そういった部分が表現できていたかというと、あと一歩かなあ。
それでも、キャストスタッフともすべてにおいて誠実に一生懸命取り組んだことがひしひしと伝わってくるいい作品だった。


2日目の3本も近日アップしまするー