きのう、金沢大学教育学部で国語科専攻の学生さんを対象に講義をさせていただきました。
7月にもゲストティーチャーという形でやらせていただいて、今回は第2回ということになります。
お題は「『伝わらない』から始めよう」。
自分にとっての「普通」と、他人にとっての「普通」は同じではない。だから自分の心や気持ちは簡単には相手には伝わらない。いや、100%通じ合うなんてことはむしろあり得ないのだと言ってもいい。それはとても哀しいことだけれど。
しかし、だからこそ人と人は伝えあい、理解し合おうとするのではないだろうか。
とすれば、コミュニケーションとは、「伝えあい、理解し合うこと」ではなく「伝えあおうとすること、理解し合おうとすること」としか言えないのではないだろうか。
とまあ、そんな感じのことを、授業の進め方や生徒との距離感の持ち方などを交えて話をしてきました。
前回も感じたことですが、学生さん達は本当に真剣に聞いてくれ、かなり感動しました。むしろ、熱心に聞きすぎじゃないか、もう少し疑って聞いてもいいんじゃないか、なんてフラチなことを考えさえしました。
そして、今、授業のアンケートを丁寧に読み返しています。
そこから感じたことは、人間関係について悩んだり、深く考えたりしている人が多いなあということです。これは当たり前かもしれませんが。
オトナになると、人間関係に関しても、「ああ、あの人はああいう人だからしょうがない」とか、「真剣に考えたらストレスが溜まるから、考えるのやめよう」などと軽く流してしまいがちです。それはそれで生きるための方法であって、悪いことではありませんが、教員を目指す方々はやっぱりそこを深く考える人であってほしいと思います。
そうして傷ついたり悩んだりしたことが、子どもたちと接するときに必ず役に立つと思います。
ステキな先生が一人でも多く学校にいれば、きっと世の中はもっとステキになる。
そのお手伝いができるといいなぁ。
7月にもゲストティーチャーという形でやらせていただいて、今回は第2回ということになります。
お題は「『伝わらない』から始めよう」。
自分にとっての「普通」と、他人にとっての「普通」は同じではない。だから自分の心や気持ちは簡単には相手には伝わらない。いや、100%通じ合うなんてことはむしろあり得ないのだと言ってもいい。それはとても哀しいことだけれど。
しかし、だからこそ人と人は伝えあい、理解し合おうとするのではないだろうか。
とすれば、コミュニケーションとは、「伝えあい、理解し合うこと」ではなく「伝えあおうとすること、理解し合おうとすること」としか言えないのではないだろうか。
とまあ、そんな感じのことを、授業の進め方や生徒との距離感の持ち方などを交えて話をしてきました。
前回も感じたことですが、学生さん達は本当に真剣に聞いてくれ、かなり感動しました。むしろ、熱心に聞きすぎじゃないか、もう少し疑って聞いてもいいんじゃないか、なんてフラチなことを考えさえしました。
そして、今、授業のアンケートを丁寧に読み返しています。
そこから感じたことは、人間関係について悩んだり、深く考えたりしている人が多いなあということです。これは当たり前かもしれませんが。
オトナになると、人間関係に関しても、「ああ、あの人はああいう人だからしょうがない」とか、「真剣に考えたらストレスが溜まるから、考えるのやめよう」などと軽く流してしまいがちです。それはそれで生きるための方法であって、悪いことではありませんが、教員を目指す方々はやっぱりそこを深く考える人であってほしいと思います。
そうして傷ついたり悩んだりしたことが、子どもたちと接するときに必ず役に立つと思います。
ステキな先生が一人でも多く学校にいれば、きっと世の中はもっとステキになる。
そのお手伝いができるといいなぁ。